みんなでテニスがじょうずになる講座 -53ページ目
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フレンチオープン 3

金曜日の夜中(テレビ東京)の「フェデラーvsナダル」戦で、フェデラーが負けてしまったので、実は決勝戦の「ナダルvsプエルタ」戦など観る気もしなかった。実際、ビデオに撮るだけで夜中に起きて観やしなかった。


金曜日は、サーカーのワールドカップ予選がびったしの時間帯で生中継された。私はテニス馬鹿だけれど、サッカーフリークではない。とはいうもののワールドカップ予選だからそれは気になる。この時ばかりは日本全国民が「右翼」とかす。街宣車で日の丸揚げると「右翼」といわれるが、全日本のサッカーのユニフォームを着て日の丸揚げても誰も「右翼」だとは思わない。不思議なものだ。


それはそれとして、「フェデラーvsナダル」戦は、ビデオに収めることにした。標準で180分のビデオを用意して。サッカーの方が少し早く始まった。相変わらずなかなか点が入らない。午前2時になった。ちょっとチャンネルをテニスに合わせた。久々のフェデラーの登場である。チャンネルをサッカーに戻しにくくなってきた。それは、第一セット、第一ゲーム、フェデラーのサーブから始まった。ファーストサーブが、厚めのスライスでワイドに入った。フェデラー得意のコースである。ナダルは若干コートから追い出されたが無難にセンターへ返球。フェデラーは、待ってましたと、その玉を逆クロスのオープンスペースへ。いつもなら、これでエースである。フェデラーのパターンだからだ。ところが、ナダルはそれを返球しただけでなく、ストレートで逆にエースを取ってしまったのだ。


結果論である。もちろん挽回するチャンスはあった。なにしろ、この一撃は出だしの1分間に起こったことである。そして、今や泣く子も黙るフェデラーである。ところが、そのフェデラーでも全仏のクレーコートでは、チャンピオンになれなかった。魔物が住むというRoland Garros。本当に私は魔物を見たような気がする。そして、私はサッカーの小笠原の唯一の得点を見過ごしてしまった。だから、私の得点の記憶は、未だにバーレーンの英雄のオウンゴールのままである。


「エナンvsピエルス」戦。ピエルスが決勝まで来た事がすご過ぎるのである。エナンの強さばかりが目立った試合である。「エナンvsシャラポア」戦が事実上の決勝戦だったかもしれない。


「ナダルvsプエルタ」戦は、思った以上に面白かった。フェデラー戦であんなに攻撃的だったナダルが打って変わって守りに徹している姿は、テニスの深さを思い知った。そして、テニスは、やはり攻めないと勝てないという見本を見せてもらった。結果的には、ナダルが勝つのだけれど、プエルタの闘志には脱帽ものである。インジャリータイムでゲームの途中に手当てを受けた時は途中棄権かと思ったものだけれど、そのセットをプエルタが取ってしまう。どっちが攻撃的だったかといえば、これは、プエルタである。玉の伸びも深さも平均したらナダルよりもプエルタの方が上である。それでは何故ナダルが勝てたのか。やっぱり技術も体力も反応も瞬発力もナダルのほうが上だったからだ。つまりポテンシャルの差である。みんなが普段の力をぶつけ合ったら、ほとんどはポテンシャルの違いで勝敗は決まる。しかし、試合になると、そのポテンシャルが100%出せる時と出せない時、ある時は120%の時もあれば、50%も出せない時がある。そして時の神さまをみかたにつけられるかである。


この試合で感じたことは、ナダルは強くなるということだ。少なくともポテンシャルを100%出せなくても勝てることを証明した。そしてどことなくカリスマ性がある。ウインブルドンの芝や、USオープンのハードコートでどこまでやれるのかはわからない。しかしフェデラーが全仏で優勝する為にはナダルに勝たなければならない。フェデラーファンとしては、痛し痒しではあるけれど、フェデラーの天敵になるような気がしてならない。そうならないためには、少なくともウィンブルドンではがつんと叩いておかなければいけない。ナダルとサフィンだったらどういう試合になるのだろうか。ナダルとロディックは?


男子のテニスもおもしろくなってきた。日本の男子も頑張ってくれ。日本の女子は頑張ってるのに。鈴木貴男 ファイト。


federer命

フレンチオープン2

私は、テニス馬鹿である。いつからそうなったのかは定かではない。が、ここに書いている他のふたりに出会ってからではなかろうか。だから、テニス馬鹿は伝染するのである。テニス馬鹿になりたくなかったら、テニス馬鹿に近寄らないことである。


シャラポアが負けてしまった。正直、シャラポアの大フアンではないけれど、容姿端麗なその姿は、アンナ・クルニコワを凌ぐ。そしてその勝負強さは、ランキング2位が証明している。個人的には、ミスキーナの顔立ちが好きなのだが、そのミスキーナは、一回戦で負けてしまった。そのシャラポアを破ったジュスティーナ・エナン・アーデンは、絶好調である。女子の世界ではバックの片手打ちは珍しいが、その一人である。もう一人、バックの片手打ちが、モーレズモで、彼女も残っている。女子の決勝がバックの片手打ち同士なんてこともあり得るかもしれない。


男子はフェデラーがベスト4まで勝ち進んだ。これで、テレビ東京の放送で見られる。クレーを得意とするスペインのナダルと決勝でやってくれるとおもしろいのだが。


コートまでの道のりを片道25分歩き始めたのは私である。きっかけは、ゲームの最中に足が絡まってコケたからだ。久々のシングルのゲームだったこともあるけど、エンドラインをボールを追って左方向に走り始めたが、足がついていかない。まさに、行きたい意志と、それを阻もうとする肉体の葛藤である。それ以来歩くことに決めた。お蔭様で、足腰は強化されたように思う。しかしこんどは、肱痛である。テニス・エルボーという奴だ。少しぐらい肱がいたくても、なにしろテニス馬鹿だから、誘われるとひょいひょい出掛けてしまう。一時は、とってもラケットを振れるような状態ではなかった。


まあ、かように肉体とはやっかいな代物である。精神を鍛えても肉体が言うことを聴かなければ、結果は現れない。足腰を鍛えるだけでもだめである。なかなか、技術論に入れない。やっぱり歳はとりたくないものだ。


federer命

40才を超えてテニスはうまくなるのか

さて、現在このブログは3人のテニスおバカさんによって書かれているわけですが

*自分は決してテニスおバカさんではないと残りの2人が主張する場合も考えられますが、客観的に見て多分当たっていると思います。


昨年からの自分なりのテーマを上げてみると、1.フォアのフォームをループスイングへ変更することによる威力の向上 2.サービスの際のボールの持ち方、トスの上げ方の変更による安定性の向上 3.サービスの際の足の曲げることによる「ため」実現による精度と威力の向上 などなどがありました。

なぜか、毎月新たなテーマが浮上し、苦しみ不愉快になりながらトライし、完璧にはもちろんいかないまでも亀のようにのろのろと向上している実感があります。

最近は、足がつりやすくなり、腰も張り、肉体的には衰えを実感させられる事象が多々あるものの、それとは別軸で技術は向上するのではないでしょうか。

そしてもちろん、忘れてはいけないのは経験によるメンタル面の強化です。メンタルコントロールも技術のひとつであるならば、まだまだ向上の余地ありと自信を持って言い切れそうです。


しかし、それにしてもなぜ会得したと思ったテクニックが、次の時には不安定なショットと化してしまうのか。得意なショットを常に得意なショットとして維持するための秘策はないのでしょうか。やはり足腰鍛えるのが遠いようで近道なのでしょうか。

フレンチオープン

「スポーツの楽しみは精神が考えたことを肉体がいかにじょうずに表現するかということだ。」

海老沢泰久さんが、あるコラムに書いていた言葉だ。若いうちは、精神も肉体も共に鍛えられる。ゴルフなどは、50歳を過ぎてもプロのトーナメントを回ることはそれほど無理な話ではない。野球でもジャイアンツの工藤が42歳で立派に完投してみせた。テニスの世界はというと、フェデラーは23歳、ヒューイットが24歳、オーストラリアオープンを制したサフィンが25歳である。アンドレ・アガシが34歳。最高のがんばりである。女子はもっと年齢が低い。シャラポアはまだ19歳である。この状況だけ見ると、おじさん、おばさんの出る幕はない。いや、プロになるわけじゃないでしょう。楽しければいいのよ。そういう声が聞こえる。身体はおじさん、おばさんであっても、プレーはやはり、超一流を目指さねばならない。確かに肉体には限界がある。しかし、精神には限界はない。ここにおじさん、おばさんの活路はないか。フレンチオープンを観ながら、考えてみよう。


WOWWOWに入っていないから、週末にならないとテレビ観戦できない。頼むから、WOWWOWが権利を取るのはやめてくれ。NHKがんばれ。


FEDERER命



まづは足腰の現状回復に努めよう。

ミドルエイジの皆さん、最近ちゃんと歩いてますか(或いは、走ってますか)?


テニスは「アシニス」といわれるほど、フットワークが問われる。

可能な限りベストポジションで打つために、動き続けるのだ。

持久力と瞬発力のより高次元でのコンビネーションが、テニスのクオリティーを向上させていく。

ボールを打つ技術ばかりを追求するのでは、テニスの上達は望めないだろう。

「動けること」。

これがミドルエイジ上達のキーワード。


私の知人にテニス暦の長い愛好家(テニス狂)がいる。

彼は不本意なプレーにしきりに愚痴をこぼしつつ煩悶していた。

「どうして、打てないのか?」「どうやれば、打てるのか?」

悩みつつ、もがいても答えの見つからない彼が、ある日突然見違えるようなプレーを

連発し始めた。サーブにも力強さとスピードが加わり、ショットも安定している。

50歳の彼が突然上達し始めた秘密は、「足腰の現状回復」だった!

ある時、彼は意を決してコートと自宅の往復を歩き始めた。片道25分という。

およそ3ヶ月後、明らかに変化が現われた。

走れなければ、歩け。歩けば「動ける」ようになり、テニスが上達した実例だ。




おじさんでもまだまだテニスがうまくなるのだ。

50歳ともなると、そうは進歩しなくなる。と思い始める。ことスポーツとなると、なにしろ身体がゆうことを効かない。疲れが取れない。すぐにどこかが痛くなる。進歩などは夢の話で、現状維持が精一杯。だと思っている。そんなことはない。十分にうまくなるのだ。じょうずになるのだ。という気持ちが必要だ。一人でわめいていても先がおぼつかない。仲間を引き込もう。まずは、頭ができると思わなくてはいけない。みんなでテニスがじょうずになる方法を語り合おうではないか。みなさんの参加をお待ちしてます。

federer命

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